ハラひでSmile

逃げてばかりな自分の人生。それでも笑顔で楽しくいたい。

僕の生きた道(自己紹介)大学生時代

こんばんわ。ハラひでです。

今日はのらりくらりと大学生になった自分を振り返ります。

私立大学の経営学部にに入学した自分。

特に経営学がやりたかったわけではなく、広告やマーケティングの授業が好きだったくらいの自分。正直、勉強に関しては人並みの経験しかないので思い出がありません。

何かに青春を感じたかった大学生

特に趣味があるわけでもなく、時間だけが過ぎていった高校時代。

友達に誘われて行った他校の文化祭でダンス部や吹奏楽部のステージを見て羨ましく思っていました。とはいえ、自分の高校は部活動が盛んではなかったため帰宅部として過ごしてきました。

大学生になったら自分も何かやりたい。

人とは違う何かをできるようになりたい。

そんな思いから部活・サークルの新入生勧誘イベントに積極的に参加しました。

そのなかで縁があったのがマンドリン部・ジャグリングサークル・国際交流サークルの3つでした。どれも他の人とは違うことができると思ったからです。あとはまぁ、当時の先輩たちが優しかったw

3つを掛け持ちすることはなかなか難しく、結局秋頃にはマンドリン部1本になっていくんですけどね。大学1年生ってそんなもんです。

ちなみにマンドリンというのはイタリアの弦楽器でビワみたいな形のやつです。ディズニーシーのBGMで聞こえてくるあれです。

といっても僕はマンドリンをそこで弾いてませんでした。入部すると楽器決めがあるんですが、マンドリンは人気だったんです。周りの同期がたくさん手を挙げているのを見たら、自然と自分の手は降りていました。僕が担当したのはコントラバス。ヴァイオリンの一番でかいやつで、マンドリンオーケストラのベース音を奏でます。

そう、とにかく人と違うことがしたっかったんです。

もちろん、それまで音楽には触れていなかったので1年目は楽譜を読むことも一苦労でした。「ド・レ・ミ・・」ってカタカナで書いてましたから。

発表会が12月と3月の二回。そのためにずっと練習しました。1年目はボロボロだったけれど、2年目以降はそれなりに頑張りました。練習以外にも、部活内で彼女を作ったり別れたり、友達や先輩と飲んだり遊んでオールしたり。とにかく大学生時代の中心はマンドリン部だったといっても過言ではありません。とても楽しかった。それまで味わえなかった青春をやっと経験できた気がしました。

今でもよく会う同期や先輩。この時期に作る仲間は一生ものです。いつか記事に書きたいと思うけど、部活をやる余裕があれば学生のうちに絶対に入部するべきです。

アルバイトは全て接客業

大学1年生と2年生の時期のアルバイトはコンビニでした。

とりあえず無難にというか、お金が入ればいいと思っていたので家の近くにあるコンビニで働きました。

今だからこそ思うのは、初めてのアルバイトに適しているのはコンビニなのではないかということ。接客の基本中の基本が学べるのはもちろんのこと、仕事の効率や流通の仕組みなんかも自然と勉強できます。これもいつか記事にしたいですね。

大学3年から卒業までは、友達の誘いで地元にあった小さな居酒屋で働きました。古い民家を改装した居酒屋は昭和の香りが残っており、とても雰囲気のあるお店でした。厨房には料理人1人、オーナーである女将さんと学生のアルバイト2・3人でまわしていました。

飲食店の接客はそこが初めてだったんですが、僕が接客に興味を持った場所でした。ここがなければ現在も接客していないと思います。小さい店だからこそのアットホームな環境はお客さんとの距離も近く、マニュアルも存在しないのでお互いに心からの声で会話ができました。

自分にとってはもう一つの実家であり、心のよりどころでもありました。先日、女将さんが引退されお店も閉店になってしまったので少し寂しいです。感謝。

然の家庭崩壊と大学卒業までの道のり

その報告は大学3年生になる手前に突然やってきました。

僕が成人を迎えるのを待っていたのかもしれません。

父の経営していた会社が経営こんなに陥り、倒産。

それに伴って、両親は離婚し兄弟はバラバラになりました。

弟たちはまだ幼かったので母親と暮らし、僕は地元が好きだったことと大学の関係で、父親と暮らすことになりました。少なからず父親を一人にしたくなかった思いもあったと思います。

両親の前では平然と淡々とその話を受け入れるように振舞っていましたが、やはりショックでした。授業も出ない日が多くなり、たまに父の仕事の残りを手伝ったりしながら過ごしてしまい、大学は留年。

ただ留年した分の費用があるわけでもなかったので、友達の助言を得て休学して、1年間のフリーター期間を経て復学し、とにかく卒業することを目指しました。

事情を聞いてくれた女将さんのご厚意もあり、居酒屋のシフトも週5日のフルで入れてもらい、アルバイトも増やしての1年でした。

さすがの自分もここまで人と違うことはしたくなかった。

それでも奨学金まで借りて入学した大学だったので、とにかく卒業するために当時は必死だったと思います。その結果、就職活動はできませんでしたが無事に復学し卒業することができました。

 

部活に励み、一転して卒業に追われることとなった大学生。

現在となっては楽しかった思いのほうが強いです。

 

 

to be continued...