ハラひでSmile

逃げてばかりな自分の人生。それでも笑顔で楽しくいたい。

プロレスに興味が出たあなたへ

こんにちわ。ハラひでです。

 

今日は僕の趣味の一つ、プロレスについて。

ちなみにこれも足を運んで見つけた趣味です。

少しでもプロレス会場に足を運ぶきっかけになれば嬉しいです。

 

haraharahidehide.hatenablog.com

 

プロレスってどんなイメージ?

プロレスというと痛いとか怖い、おじさん同士がのっそりしてるというイメージがあると思うが、実際に見てみるとイメージでしかなく実はエンターテイメント要素がたくさんつまったもので華やかなものだと分かる。

最近ではプロレスを見に来る女性もたくさんいる。メディアでは彼女らを「プロレス女子=プ女子」と名付け、イケメン目当てのように扱っているが全く間違っていると断言できる。集客や話題作りのためだとしても間違ったイメージを世間に流してしまうメディア。ファンとしたら実に悲しいこと。

たしかにイケメン要素あるけれど、それ以上に彼女らもプロレスの面白さそのものにハマっているのだ。自分たちと同じで区別なんか必要ない。現に僕の妻も大のプロレスファン。

この思いをnoteにも書いてます

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プロレスの魅力とは

  • ストーリーがある
  • 選手にキャラクターがある
  • 技がかっこいい

 

まずはストーリーがあること。

プロレスはベルトを中心にストーリーが展開していく。ベルトは団体の象徴であり、持っていると団体の顔として君臨でき、簡単に言えば目立てるのである。

またプロレスの試合は点だけれど、それが伏線となって点と点がつながり線になる。例えばデビュー日が同じだった選手が成長してベルトをかけて戦うとか。漫画のようなストーリーのなかにリアルなストーリーもあるということ。まるでドラマを見ているかのように先を予想したり妄想してわくわくする。

 

次に選手にキャラクターがあること。

プロレスはキャラクタービジネスだと個人的に思っている。

選手にはそれぞれ個性的なキャラクターがあり、その見た目から言動やしぐさ、技まで徹底している。たまーに見せる素の表情は女子ウケポイントである。本当にいろいろな選手がいて、王子様のような人やナルシスト、悪い外国人、オネェやゲイまで。

選手にはそのキャラクターに合ったキャッチフレーズがある。「レインメーカー」「全知全能」「荒武者」「100年に1人の逸材」とか。

グッズも選手個人のイメージされたものが展開され、ファンはそれをもって応援する。ちなみにグッズ売り場に行くと選手が販売していたりサインや握手をしてくれることもある。僕はいつもそれに緊張してしまう。

 

そして技がかっこいいこと。

各選手には決め技がある。ストリートファイターIIでいう波動拳みたいな。プロレスの技っていうとチョップとか4の字固めとか地味なものを想像しがちだが、現在は派手なものが多く使われている。(チョップや4の字固めとかもプロレス好きになるとかっこよく見えてくる!)

これに関しては是非とも映像を見てほしいのだが、コーナーの上から回転しながら飛んだり、相手の腕を掴みつつラリアットをしたり。

また技を受ける美学というのがプロレスにはある。相手の技をうまく受けることで、その技の威力や説得力を生み出す。お互いの技をぶつけ、全て受けきった上で勝つのがかっこいいレスラーであるのだ。

 

初めての人におすすめする団体

各団体によって試合内容や色が全然違うのがプロレス。その中でも初心者でも見やすいと思う団体を紹介する。

 

新日本プロレス

日本で1番大きな団体。

大きいだけあって大会の規模も演出もダイナミック。1月4日には毎年恒例の東京ドームでの大会があり、プロレスファンからは元旦と呼ばれている。世界的に見ても2番目に大きな団体になっており海外のファンも多い。

また毎週地上波テレビでやっているので、それを見ておけばストーリーが追えるのも初心者にはありがたい。

代表的なレスラーは、オカダ・カズチカ棚橋弘至内藤哲也など。

 

ドラゴンゲート

メキシコのルチャリブレを逆輸入した団体。

小柄な選手が多く、試合のスピード感と飛んだり回ったりする技の華やかさは見ていて病みつきになること間違いなし。

初心者におすすめする理由のもうひとつはストーリーが面白いというところ。ユニットがいくつかあり、そのユニット同士による抗争がメイン。ストーリーが目まぐるしく展開され、ユニット内での裏切りや仲間を助ける絆は観客の胸を熱くする。まさに熱い青春ドラマを見ているよう。また関西の団体なのでマイクが長く、笑えて面白い。

代表的なレスラーは、YAMATO、土井成樹鷹木信悟など。

 

DDTプロレスリング

文化系プロレスという新しいプロレスを生み出したのがこのDDT。とにかく笑ってしまうような初心者にも分かりやすい試合が展開される。路上プロレスをやっているのもDDTで、リングを飛び出して公園や遊園地、商店街でプロレスができてしまう。

ただベルトを中心とする熱いストーリーや試合もあるので、そのギャップと幅の広さがとても面白い。

代表的なレスラーは男色ディーノ、スーパーササダンゴマシン、竹下幸之介など。

 

是非会場で生観戦を!

プロレスは生で見るのが面白い!!

とにかくこれを一番伝えたい。

上にあげた団体はどれもインターネットで試合を見ることができるのだけれど、現地で会場の雰囲気や選手の躍動感を味わってほしい。最初のハードルが高いイメージがあるプロレスだけど、実際はかなり低いことに気づくはず。ストレス解消にもなるので、日々の生活で疲れてる人にもおすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

趣味があるということ

こんばんわ。ハラひでです。

長々と経歴をブログに連ねてしまって「こんなの読んで面白いのか?」と恥ずかしくもなり、反省もしている。

大変な時期を経験してきたけれど、なにか楽しみがあるとそのために頑張ろうとかいわゆる息抜きができた。趣味を持っていたことが自分をポジティブにしてくれ乗り越えられた。

そんな今日は趣味について。皆さんは趣味を持ってますか?

 

自分が熱中できるものは何?

大学生になるまではずっと趣味と言えるものがなかった。

「強いて言えば映画を見ることかな」って当時は話していたのを覚えている。実際には人並みの娯楽程度だったのでとても趣味というには大げさだった。

趣味がない生活は労力とともに時間だけが過ぎていく。

趣味がなくて悩んでいる人も見かける。このような人は興味を持つということができないのではないだろうか。与えられた情報を見たり読んだりするだけで、興味を持てないとその場で切り捨ててしまう。

とても勿体ないことだと思う。

 

楽しいと感じることに出会える楽しさ

僕が初めて趣味と呼べるものに出会ったのは21歳の時だ。

当時付き合っていた彼女と夏休みにデートしようと思ったのだが、かなりマンネリ化していて行きたい場所が特に思いつかなかった。ふと思い立って彼女が好きだった野球を神宮球場に見に行くことにした。野球を一切見ない家庭で育ったので、それまで野球に触れる機会がなくルールもほとんど分らない。テレビ中継の退屈なイメージしかなかった。

だが、現地に行くとイメージとは全然違った。球場が二つに割れて交互に繰り出されるファンによる応援。ビールを飲みながらチームの攻防に喜んだりがっかりしたり。夏なので花火も上がった。

まさに衝撃的で、自分の知らない世界がそこにはあった。

そして喜怒哀楽にあふれる野球観戦を面白いと感じた。(ちなみに野球は3連戦が基本ということも知り、気づいたら3連戦全て行っていた。)

 

趣味は自分の五感で見つけよう

実際に行ってみないと分からない世界はたくさん存在すると思う。

なにかきっかけがあったなら、ちょっとでも気になったならぜひ自分で体験してみるとよいと思う。取捨選択をするのはそれからでも遅くないはずだ。むしろ、たくさん体験したほうが話のタネにもなるし一石二鳥なのでは。

やってみて自分がどんな感情になるか。またやってみたいと思うか。もしかしたらいつの間にかハマっているかもしれない。

好きなことが見つかる瞬間、最高に楽しくないですか?

 

 趣味のレベルは人それぞれ

趣味を見つけると同じ趣味の人がたくさんいることに気が付く。

オタクという言葉が日常的に使われるようになって、さらにSNSが発達している現代だからこそ、趣味に対してマニアックな人が存在する。

そのような人たちをみていると「自分はこれを趣味といっていいのかな」「ファンを名乗っていいのかな」と不安になる。

ずばり、気にしちゃだめだ。好きなら好きでいいじゃない。趣味や好きにレベルなんてものはない。自信をもって自分の趣味にしてください。自分より詳しい人は新しい情報や技術を教えてくれる先輩だと思えばよい。趣味を自分の世界で楽しもう。

 

趣味があるということ(まとめ)

趣味を作るためにはまず一歩踏み出してみよう。

もともと趣味なので別に誰にも噛まれたりはしない。つまらなければそこでやめればいい。引き出しが増えたことを喜ぼう。

 

好きなことを見つけるにはじっとしていたんじゃ何も見つからない。

好きなことがあれば、そのために辛いことも頑張れる。

好きなことがあれば、わくわくする。

好きなことがあれば、心にゆとりができる。

 

 

趣味ってつまり自分が楽しめる好きなこと。

自分の時間を有意義に楽しもう!

僕の生きた道(自己紹介)大学生卒業後から現在まで

こんばんわ。ハラひでです。

ついに社会人になった自分を振り返ります。

(ちょっとだらだら書きすぎだなぁ・・・苦笑)

 

逃げの人生のはじまり

大学卒業後に1年弱くらい居酒屋のアルバイトを続けながら就職活動をしていました。ハローワークに通ったり、就職支援プログラムに参加してみたり。とにかく同学年だった人よりも遅れていることにコンプレックスがあって焦っていました。今にして思えばそれが間違いの大元だったのかもしえません。

ようやく決まったのは地域のフリーマガジンを作る小さな会社。

人生で最初の就職場所。そこに僕は営業職として就職しました。

仕事の内容はフリーマガジンに掲載してくれるように地域の店に1件ずつ営業していく、いわゆるローラー作戦型の飛び込み営業。

断られても地域の範囲は限られているので翌日や翌々日にまた出向かなければいけません。煙たがられるのはもちろん、怒鳴られることもありました。会社に帰ると営業成績の競争。とても辛かった。

接客と営業は違うというけれど、本当にその通りだと思いました。自分には向いてない。来月も働いてる姿が想像できない。3か月で辞めてました。

 

逃げて生まれたチャンス

自分は何がしたいんだろう。

そう思いながら開いた小学校の卒業文集アルバムには

10年後 ディズニーランドで働いている

と書いてありました。ずっと働いてみたかった場所。時給こそ低いけれど、これはチャンスで運命だと思いました。

面接の後に採用されパーク内のサービス施設で働き始めました。

そこには様々な人が働いていて、またいろんな場所から楽しみに来てくれるゲストがいてとても刺激的でした。

マニュアルはあるけれど、それ以外のやさしさで作り出す空間はさすがで、接客の勉強にとてもなりました。

仕事は自分が楽しくないと駄目だよ

自分が楽しまないと相手にも楽しんでもらえない

心身ともに前職で疲弊していた僕に職場でかけてくれた言葉です。

当時、仕事は企業に入って軍隊のような毎日を送るものだと思っていたので衝撃でした。よく仕事中の笑顔を褒められるのですが、この自分も楽しむというのがポイントだと思っています。作り笑いはどうしても不自然になってしまう。自然に笑顔を出すなら普段のように楽しんだらよいのです。

楽しすぎていつのまにか5年目になっており、30歳を迎えたところで転職を決意しました。付き合ってた彼女(現在の妻)との結婚のこともあったので。

 

路頭に迷いながら現在の職場へ

ここからは1年間で起きたことです。

まずはビジネスホテルに転職してみました。

しかし日勤の採用のはずが夜勤しか入れてもらえず心が病んで退職。

次に塾の講師をしてみました。キラキラした小学生や中学生と話すのは新鮮でとても楽しかったのですが、残業地獄と授業のために休みがつぶれ、さらには通勤に2時間以上もかかる場所に派遣されたため体力が持たずに退職。

さすがにこの時はディズニーが恋しくなったり、自分は情けなさすぎるのではないかとネガティブニートになっていました。

やはり自分にはお客さんに楽しんでもらえるような場所で接客がしたいと思いました。そして、現在の都内の某観光スポットでのスタッフとしての接客ができる会社に就職しました。

現在の職場は日本人だけでなく、海外からの観光客も多く今までの経験に加えてより国際的なコミュニケーションが必要になりました。

今まで以上に表情を豊かにして会話をしたり、挨拶をちょっと真似してみたりと自分なりに楽しんでいます。挨拶だけでも異国の地で母国語を聞けると嬉しいですもんね。

ちなみにシフト制なので自分の時間とお休みも取れるので、こちらも素敵ポイントです。

 

自分らしく働くこと、生きることが一番

自分の好きなことを職業にして稼いでいる人は少ないし、難しいことだと思います。しかし、自分らしく働くことだったら可能ではないでしょうか。自分が何をしたいのか、どんなふうに生活したいのかを考えると先の道が見つかるかもしれません。お金が大事な人。時間が大事な人。内容が大事な人。ひとは様々です。

逆に自分らしさを破壊してしまう環境からはぜひ逃げてください。

働く場所なんて結構あり、意外と何とかなります。無理してせっかくの自分の良さを失くしてしまってはもったいないですから。

 

自己紹介まとめ

正直、こんなに長く書くことになるとは思いませんでした。反省。

それでも書き足りないことだらけなので、またちょいちょい思い出したら記事にしていきます。

いつか何物でもない自分の自伝を売りたいw

現在32歳。昨年は4年間同棲していた彼女とも結婚し、家計でひーひー言いながら生活しています。振り返ると後悔だったりすることも多いけど、後悔は考え方によってはポジティブになります。

読んでくれてありがとうございました。

はじめて書いたブログなので文章もめちゃくちゃなのは勘弁してくださいませ。

 

僕の生きた道(自己紹介)大学生時代

こんばんわ。ハラひでです。

今日はのらりくらりと大学生になった自分を振り返ります。

私立大学の経営学部にに入学した自分。

特に経営学がやりたかったわけではなく、広告やマーケティングの授業が好きだったくらいの自分。正直、勉強に関しては人並みの経験しかないので思い出がありません。

何かに青春を感じたかった大学生

特に趣味があるわけでもなく、時間だけが過ぎていった高校時代。

友達に誘われて行った他校の文化祭でダンス部や吹奏楽部のステージを見て羨ましく思っていました。とはいえ、自分の高校は部活動が盛んではなかったため帰宅部として過ごしてきました。

大学生になったら自分も何かやりたい。

人とは違う何かをできるようになりたい。

そんな思いから部活・サークルの新入生勧誘イベントに積極的に参加しました。

そのなかで縁があったのがマンドリン部・ジャグリングサークル・国際交流サークルの3つでした。どれも他の人とは違うことができると思ったからです。あとはまぁ、当時の先輩たちが優しかったw

3つを掛け持ちすることはなかなか難しく、結局秋頃にはマンドリン部1本になっていくんですけどね。大学1年生ってそんなもんです。

ちなみにマンドリンというのはイタリアの弦楽器でビワみたいな形のやつです。ディズニーシーのBGMで聞こえてくるあれです。

といっても僕はマンドリンをそこで弾いてませんでした。入部すると楽器決めがあるんですが、マンドリンは人気だったんです。周りの同期がたくさん手を挙げているのを見たら、自然と自分の手は降りていました。僕が担当したのはコントラバス。ヴァイオリンの一番でかいやつで、マンドリンオーケストラのベース音を奏でます。

そう、とにかく人と違うことがしたっかったんです。

もちろん、それまで音楽には触れていなかったので1年目は楽譜を読むことも一苦労でした。「ド・レ・ミ・・」ってカタカナで書いてましたから。

発表会が12月と3月の二回。そのためにずっと練習しました。1年目はボロボロだったけれど、2年目以降はそれなりに頑張りました。練習以外にも、部活内で彼女を作ったり別れたり、友達や先輩と飲んだり遊んでオールしたり。とにかく大学生時代の中心はマンドリン部だったといっても過言ではありません。とても楽しかった。それまで味わえなかった青春をやっと経験できた気がしました。

今でもよく会う同期や先輩。この時期に作る仲間は一生ものです。いつか記事に書きたいと思うけど、部活をやる余裕があれば学生のうちに絶対に入部するべきです。

アルバイトは全て接客業

大学1年生と2年生の時期のアルバイトはコンビニでした。

とりあえず無難にというか、お金が入ればいいと思っていたので家の近くにあるコンビニで働きました。

今だからこそ思うのは、初めてのアルバイトに適しているのはコンビニなのではないかということ。接客の基本中の基本が学べるのはもちろんのこと、仕事の効率や流通の仕組みなんかも自然と勉強できます。これもいつか記事にしたいですね。

大学3年から卒業までは、友達の誘いで地元にあった小さな居酒屋で働きました。古い民家を改装した居酒屋は昭和の香りが残っており、とても雰囲気のあるお店でした。厨房には料理人1人、オーナーである女将さんと学生のアルバイト2・3人でまわしていました。

飲食店の接客はそこが初めてだったんですが、僕が接客に興味を持った場所でした。ここがなければ現在も接客していないと思います。小さい店だからこそのアットホームな環境はお客さんとの距離も近く、マニュアルも存在しないのでお互いに心からの声で会話ができました。

自分にとってはもう一つの実家であり、心のよりどころでもありました。先日、女将さんが引退されお店も閉店になってしまったので少し寂しいです。感謝。

然の家庭崩壊と大学卒業までの道のり

その報告は大学3年生になる手前に突然やってきました。

僕が成人を迎えるのを待っていたのかもしれません。

父の経営していた会社が経営こんなに陥り、倒産。

それに伴って、両親は離婚し兄弟はバラバラになりました。

弟たちはまだ幼かったので母親と暮らし、僕は地元が好きだったことと大学の関係で、父親と暮らすことになりました。少なからず父親を一人にしたくなかった思いもあったと思います。

両親の前では平然と淡々とその話を受け入れるように振舞っていましたが、やはりショックでした。授業も出ない日が多くなり、たまに父の仕事の残りを手伝ったりしながら過ごしてしまい、大学は留年。

ただ留年した分の費用があるわけでもなかったので、友達の助言を得て休学して、1年間のフリーター期間を経て復学し、とにかく卒業することを目指しました。

事情を聞いてくれた女将さんのご厚意もあり、居酒屋のシフトも週5日のフルで入れてもらい、アルバイトも増やしての1年でした。

さすがの自分もここまで人と違うことはしたくなかった。

それでも奨学金まで借りて入学した大学だったので、とにかく卒業するために当時は必死だったと思います。その結果、就職活動はできませんでしたが無事に復学し卒業することができました。

 

部活に励み、一転して卒業に追われることとなった大学生。

現在となっては楽しかった思いのほうが強いです。

 

 

to be continued...